完璧じゃなくていい【短編/完結】

 

 

最近ふと、寝る前に「あぁ死んでしまおうか」と考えてしまうことがある。
どうせこのまま生きていてもいいことなんてない。このままただ生きるぐらいなら、死んだほうがマシだと心が叫ぶ。明日が来るのが怖くて目が閉じられない。それでも明日が来れば俺はまた笑って普段通りの日々を過ごすのだろう。ただ、用意されたその席に座って。

◇◆◇

『生徒会長、八代幸弘。私立のお坊ちゃん高校の3年生。絶対的な存在で、よく気がきく全校生徒の憧れのマト。容姿端麗かつ文武両道で誰にでも優しい。』
――それが俺に与えられた席だ。実際は普通にガサツで、自分のプライドをねじ曲げることは絶対嫌。容姿は元々の容姿が良かったことと、俺の席を用意した奴の指示通りに毎日整えて調整している。勉強は寮の部屋で死に物狂いでやって、教室では余裕を見せる。
……俺は、毎日俺を演じている。

ことの始まりは中学の時だった。親が破産し、多額の借金を得た俺たちの元にとある1人の男が声をかけた。高校3年間私を楽しませてくれたら借金をチャラにしてあげよう、と。親と相談した後、もう後がない俺はその男の話に乗った。どんなに怪しそうな話であれ、俺たちはそれに縋ることしかできなかった。もちろん親は最後まで納得した顔をしなかった。だが、俺ができることといえばこれぐらいしかない。無料で高校に行けて、尚且つうまくいけば借金がすべて帳消しになるのだ。
男は資産家であり事業家であり、学園の運営者だった。所謂『学園長』は、俺に一つの提案を持ちかけた。

『君のような一般市民が、私の作り上げた坊ちゃん達の集まる学園で生徒会長を見事成せたら面白い』と。

――そして俺は見事それをクリアしたのだ。学園長の用意した八代家の跡取り息子という名目と生徒会長の名を手に入れた俺はあとはもう卒業するだけだった。

しかし、或る日突然それは起きた。
学園長が面白半分で厄介な転入生を連れてきたのだ。その男は学園長の親戚で、少し空気の読めない高校一年生。彼は誰にたいしてもズバズバ物事を言う性格で、見事金持ち坊ちゃん達の心を鷲掴みにしていった。恐らく珍しいからだろう。だが、元々一般市民思考の俺にとってはアレはクラスに1人はいる『浮いてることに気づかないKY男子』だ。そこに学園長の嫌な性格が若干交わって、あまり関わりたくない人物に出来上がっている。
だがこれは残念ながら俺の意見であり、先程も言ったが、金持ちの坊ちゃんたちは珍しい彼に釘付けだ。
それはもう仕方のないことだと割り切るしかない。割り切るしかないのだが、一つだけ俺にはどうしても許せないことがあった。それは、今この目の前の誰もいない生徒会室のことだ。

「……クソかよ」

普段は絶対に学園内では言わない言葉が口から漏れる。
この学園では生徒会が様々な仕事を片付けることが義務付けられている。もちろんその量自体は分担されているため一人一人の割り当ては少ない。
だが今、生徒会室には俺しかいない。つまり、副会長と会計と書記と庶務の合計4名の仕事が自分の仕事にプラスされているのだ。
いつの間にか、外はもう暗い。がらんとした生徒会室の冷たい空気だけが肌に触れる。溜息をついて最後の仕事に取りかかろうとするが、また明日も同じ量があるのかと思うと正直俺は焦っていた。勉強をする時間が取れないこともあるが、何より他の担当の仕事をこなしながらすべての仕事に間違えがない自信がないのだ。生徒会長八代幸弘は完璧でなくてはならない。ミスは許されない。
転入生にベッタリな彼らを思い出して余計にため息が深くなる。せめて仕事ぐらいはしてくれてもいいものの、その気配は全くない。転入生の名前――確か、唯だったか。「唯が~」「唯のために~」だとかなんだとかほざきまくっている。いい加減にしてほしい。相手は男の転入生だ。もともとこの学園はなんだか男が好きな男が多いな、とは思っていたが異質だ。流石に男子校だとしてもこの数は凄まじい。そういうことに偏見はないが、追い回したり変に固執したりそういう異質な愛情表現が多いのは確かなのだ。

「……はー……」

思わず大きなため息が出てしまう。先程も言った通り、俺はこの学園では絶対的な生徒会長として生活している。だが、本質は普通の高校生だ。ゲームが好きで、スポーツをするのも見るのも好きで、好きな音楽はちょっとロックな洋楽。へこんだときは音楽を聴きながらベッドで漫画を読む。防音部屋だからって大声で笑ったりもする。好きな食べ物はハンバーグ。
――俺は特別でも何でもない。生徒が言う『完璧な生徒会長様』なんかじゃない。
少し霞んだ目を擦って、うつ伏せる。まだ書類は残っているが、睡眠時間が足りない。部屋に持ち帰って生徒会の仕事をしたのなんて初めてだ。おかげで授業中どれだけ辛かったか。しかし授業を寝てしまえば勉強に遅れが出る。それは俺にとって一大事だ。
少しだけ、寝てしまおうか。今ならきっと学園に残っている生徒もごく僅かだ。それに、生徒会のメンバーがこの時間からこの生徒会室に来るとは考えにくい。この生徒会室に入るには学生証が必要だ。それも、一部の学生にのみ許された特権。生徒会もしくは風紀委員会の一員か、各委員会の委員長か。後は教師だけ。それがこの生徒会室の扉を開けることができる人物だ。つまり今この生徒会室に入って来れる人物は限られている。眠ってしまってもきっと見つからない。
少しだけ、寝よう。――そっと目を閉じて、静かな学園の音を聞く。今だけは、眠っている間だけは。何者でもない、ただの八代幸弘でいられる。微睡んでいた意識は急速に深くなり、俺は夢を見ることもなく暗闇へと落ちて行った。

◇◆◇

「……おい」

ふと、近くから声がかかった気がした。その声はどこか兄に似ていて、もしかしたらさっきまでの散々な高校生活は全部夢だったのではないかと、そう感じてしまった。こんなわけのわからない学園で、学園長の人形の様に過ごす自分は、全部悪夢だったのではないかと。

「……兄ちゃん、ごめん俺――」
「……あ?」

――その声を聴いた瞬間、意識がだんだんとはっきりとしていく。これは夢ではない。現実で、そしてここは生徒会室で。それにこの声は聴いたことがある。何度も、この耳で。完璧だと言われている俺が唯一苦手な相手。

「……――っ、高科……」

顔を上げて声がした方を見れば、案の定驚いたような顔をした風紀委員長の高科晃がいた。高科とは犬猿の仲というかなんというか、とにかく噛み合わなかった相手だ。完璧な俺を、たまに見透かしたかのような顔で見る。それでなくてもコイツこそ本当の完璧というかなんというか、少し口調が荒く横暴なところはあれど、周りには気が利くし強いし威厳がある。苦手なことなんて一つもないんじゃないかと思う程素で何でもできる人間なのだ。
今、俺はその人間に寝ているところを見られた。それどころか「兄ちゃん、ごめん」だなんて呟いているのを聞かれたのだ。

「……な、んの用ですか」

それでも、俺は自分を演じ続けなければいけない気がして。震えた声に気付かれないように、その人物を見つめた。

「――……いや、お前も寝るんだな」
「……僕も人ですから」
「……さっきのが素か?」

平静を装っていた自分に、突き刺さる言葉。そりゃそうだ。一番そこは気付かれてほしくないところだった。気付かない方があり得ないが、それでも聞かれると痛いものがある。どう言い訳をすればいいのかまったく思いつかない。
目を逸らして黙っていると、前の副会長の席に高科は腰を下ろした。その視線は俺に向いているのが分かる。

「八代お前今一人で仕事やってんのか」
「え? あぁ……まぁ。皆さん転入生で精いっぱいですし」
「んで疲れて寝てた、と。今何時かわかってんのか?」

腕時計に目をやればその針は8の文字を指していた。まさか、こんな時間まで寝てしまうとは自分でも思わなかった。少しうたた寝をするつもりだったのだ。それがどういうことかどうやら数時間単位で寝てしまっていたようだ。それぐらい自分が疲れていたということなのだろう。

「なぁ八代。お前無理すんなよ」

降りかかった言葉に、肩が揺れる。俺が無理をしている――そんなことはわかっている。それでも、俺は家族のために、自分のために、ここで八代幸弘をやめるわけにはいかないのだ。だが、そんなことを言えるはずもなく、ただ俺はいつもの様に笑みを浮かべて高科を見た。

「無理なんてしてませんよ。ちょっと今日は体調が悪かっただけで――」
「八代」

だがその言葉はすぐに高科の声に遮られた。その顔はちょっと怒っているようで。いつも思うが、怒っても整った顔というのは羨ましい。俺は自分でもまだ顔はいい方だと思うが、それはわざと表情を作っているからでもある。普通にすりゃ普通の高校生の顔だ。高科は違う。どんな顔をしていたって男前だ。少し気の強そうな顔だとは思うが、そこがモテるんだとクラスの奴が言っていた気がする。

「お前がどういう理由あんのかとか俺は知らねぇけど、お前が無理してんのはなんとなくわかんだよ」
「……幻覚じゃないですか」
「さぁな。今俺の目の前にあるこの泣きそうな顔が幻覚なら幻覚なんじゃねぇの」

スルリと顔を触れられて一瞬体が強張る。人に触れられるのはいつまでたっても慣れない。泣きそうだといわれて、自分の表情が崩れていないか確認したくても顔を触れられていて表情筋が動かせない。
と、思っていると唐突に頬を引っ張られた。多分、今俺はこの学園で誰にも見せたことがないほど馬鹿みたいな顔をしていると思う。

「いたっ、たた!!」
「伸びるな」

呟いて今度はもう片方も引っ張られる。引っ張っている方は楽しいのかもしれないが、引っ張られている方はたまったもんじゃない。それを教えたいが引っ張られているため思ったように喋れない。
――俺は、なんとなく、両手を伸ばした。いつもならこんなことはしない。そもそも両頬を引っ張られるような真似はしない。多分いつもよりも気が抜けているんだと思う。
伸ばした両手は高科の頬を引っ張っていた。驚いたような顔をした後、痛みに眉に皺を寄せるその顔は多分俺と同じく学園では誰にも見せたことがないような顔で。思わず俺は自然と笑みがこぼれていた。

「はは、馬鹿みてーな顔!」

――ハッとする。引っ張る手も止まっている。今、素で笑ってしまった。高科の頬を引っ張っていた手を外し、慌てて顔を戻そうとすればグイと両手で頬を掴まれ上を向かされる。高科の整った顔が思ったよりも近くにあって、ボンヤリとその顔を見る。

「笑えよ」
「は?」
「いつもそうやって笑ってろよ。そうすりゃいつもみたいな演技臭さなくなるだろ」

演技臭さ、と言われて思わず顔をしかめてしまう。俺の顔を見て、どうしてだか高科は少し微笑んだ。まさか笑顔を見れるとは思っていなかった俺は少し動揺した。こんなイケメンに顔を掴まれて近距離で、きっと女子が聞いたら怒るようなシチュエーションに今俺はいるのだ。

「なぁ、八代、お前本当に素でいろよ」

繰り返されるように言われる言葉に、つい目を伏せてしまう。そうできればどんなに楽だろうか。

「無理」
「なんで」
「……俺には俺の事情があるんだよ。そりゃ俺だって……やめたいけど」

初めて言ってしまった言葉に、不思議と後悔はなかった。やっと誰かにやめたい、と言えたのだ。
高科の返事が無くて、怪訝に思い目線を再び高科に向ければ少し悩んだように目を伏せ、俺と同じようにまた俺と目を合わせた。そういえばこうやって高科とちゃんと目を合わせるのは初めてかもしれない。そもそも、高科とこんな風に至近距離で話している状況がおかしいのだ。

「じゃ、俺と二人のときは素でいろよ」
「は? いや、高科と二人のときとかそんなにある?」
「ん? 作ればいいだろ」
「え?」
「お前だって素で人と話せる時間がありゃ楽なんじゃねぇの。いつも敬語だと嫌になるだろ」
「そりゃ、そうだけど」

高科はじゃぁそういうことでいいだろ、と俺の肩をポンと叩いた。唐突に決められて、唐突に納得させられた。

「でも、高科は俺のことあんま好きじゃないだろ?」
「別に。お前が完璧になろうとしてんのは見てて無理してる感じしてイライラしたけどな。素のお前はなんつーか……もっと見てみたい」
「はぁ? 俺を? ……ちょっと聞くけど、まさか俺をあの転入生みたいな目で見てるんじゃないだろうな」
「は? アイツとお前全然違うだろ。自分で似てると思ってんのか」
「いや……でも俺金持ちじゃないし」
「へぇ、そうなのか。……そうやってお前のこと教えろよ、八代」

ボロを出してしまった俺をからかうように言う高科に、やはりこいつは少し苦手だ、と感じてしまう。だが、高科の言う通り俺は素で喋れる相手がほしかったのかもしれない。俺のことを教えろ、と言われて少し肩の荷が下りたような気がするのだ。俺自身のことを知りたいと思ってくれている人間がいる。そのことは俺にとって十分温かいものだった。

「俺が完璧な八代幸弘と全然違ってもいいのかよ」
「違ってないと困るだろ。そもそも涎出して寝て寝言いうような奴が完璧なわけねぇだろ」
「……俺涎出てた?」

慌てて口元を指で擦れば、また面白そうに笑う高科の声が聞こえた。

「八代、これから宜しく頼むぜ。あと、生徒投票で生徒会のメンバー会長以外総入れ替えが決まったから」

手を差し出され、握ろうとしたが続いた言葉に手が止まる。今、なんとおっしゃったのかこの風紀委員長は。メンバー総入れ替え。それはわりと大切な要件だ。それをサラッと言ってしまうあたり、やはりこの男は素で完璧というか、デキる人物だ。

「高科って、何でもできる感じがあるよな」
「あ? ……そうでもねぇよ。俺にもできねぇことはある」

何かを考え込むように俺の手を握り、ジッとその手を見つめられる。高科でもできないことがあるのか、と少し驚いて、自分がなろうとしていた完璧は高科を目指していたことにふと気づく。それを伝えようか迷って、伝えないことにした。完璧と言われることは、俺にとって重荷だった。高科がどうなのかは知らないが、俺が嫌なことを相手に言うこともないだろう。

こうして、俺と風紀委員長の謎の絆ができたのだが、この後転入生の復讐があったりそれがきっかけで俺が高科に恋してしまったりするのは、また別の話――。

完璧じゃなくていい