#三章【思い出】
「吉住さん! 吉住さん、そんな」
目の前で首が一瞬でありえない方向に向いた男と、その上でギャイギャイと声を上げる春美――妹の姿をしたバケモノを見ながら、俊介は水浸しになった頭を抱える。
あぁ、自分が悪かったのだ。本当に、全部。
始まりは、俊介が中学一年生の頃だった。それまでは佐木那町とは全く別の場所に住んでいた。明るい家庭だったのだが、ある日五歳離れた妹の春美が学校で虐められて不登校になった。
転校するために、父親である孝宏は仕事を辞め昔実家があった町に住もう、と家族を連れて佐木那町に来たのだ。田舎は空気もいいし、心機一転できるさ、と笑って両親が言っていたことを俊介は覚えている。
だが、元々人数の少ないこの町ではもうコミュニティなんてできてしまっている。春美は恐ろしさと不安で学校に行けなかった。俊介は町で唯一の町立中学校に通っていたが、元々綺麗な顔立ちをしていたためか、或いは話し方が地元民と違っていたからなのか、兎に角閉鎖されたその空間で「余所者」というレッテルを貼られた。それはもちろん子供だけではなく大人もそうで。
母のかずみはパートでも余所者扱いされ輪に入れず、友人もいないこの町で春美をなんとか元気付けようとしていた。俊介に強く当たることも増え、引っ越しなんてしなかったら良かったのに、と思った。
そんな日々の中で、父親の孝宏は新しい職場で取り返しのつかないミスをしクビとなった。元々ブラックに近い労働環境の職場だったし、佐木那町からも少し時間のかかる場所にあったから、新しい職場を探せばいいとかずみは慰めた。だが、孝宏がクビになった噂はこの狭い田舎ではちょっとした大事件みたいになり、瞬く間に悪い方向へと広がった。
あのお宅、子供さんは不登校で旦那さんもクビになったんですって。
夜逃げでもしてきたのかしら。
こっちの人じゃないから、ちょっと怖いよね。
旦那さん精神病になったそうよ。精神科に行ってるの〇〇さんが見たんですって。
いやねぇ、犯罪とかしないでほしいけれど。
偏見に溢れていたのは無知だからだ。だけど、あの人たちが自分たちの場所を守りたかったからだとも思う。少し達観したところのあった俊介はそう思っていたが、そう思えなかったのは限界にあったかずみだった。かずみと孝宏は喧嘩をするようになり、毎日のように2人の怒鳴り声や喚き後、泣き声が家に響いていた。俊介は妹の春美の様子を見に行っていたが、その頃の春美はぼうっと外を眺めていて何を話しかけても上の空だった。今思えば、もうこの時彼女の心は壊れてしまっていたのかもしれない。
その夜は雨風の酷い日だった。夜中に必死の顔をしたかずみに起こされ、俊介は春美が家にいないことを聞かされた。危ないから、とかずみと俊介は2人一緒に、孝宏は1人で、春美を探しに家を出た。
深夜なので人っ子1人いないその町で春美ー! と叫ぶ三人の声だけが響く。住民は寝静まっているのか、それとも関わりたくなかったのか、雨風が酷かったせいか、誰一人として家から出てこなかった。
そうこうしているうちに、あの祠への道を見つけた。そこに春美が履いていたスニーカーを見つけ、親子三人は急いで道を駆け降りた。その先にあったのは、増水した川と川の中にポツリとある祠。そしてその祠に引っ掛かっている春美だった。
孝宏が無理矢理増水した川の中に入り、春美を抱えて戻ってくる。豪雨の中、横たわった春美はどう見たって息をしていなかった。手元に握っていたのは、容姿で虐められてからずっと持っていた鏡だった。
妹の葬式が終わり、それからはもうあっという間に。一瞬で人は壊れるのだ。
ある日、学校の帰り道で俊介は様子のおかしいかずみに連れられて祠に行った。春美の形見の手鏡を祠に祀りましょう、と言われるがままに祠に鏡を置いた。それを見て、かずみはケタケタと笑った。
「俊介はこれで神様になったの! 孝宏さんを生贄にしたのよ、あの人が悪いんだもの。春美はこれで帰ってくるの。」
家に帰ると、俊介と春美の部屋だったそこで孝宏が首を吊っていた。かずみはそんな孝宏を指差して俊介に微笑んだ。
「私がね、言ったのよ。あなたが償うべきだって。あなたがどんなに迷惑かけてこの世にいらないかって。そうしたら、ほら。私たちのためになってくれるんですって」
葬式は家族だけで行われた。その時には「こんなことする人じゃ無かったのに」と葬儀会社の人に泣いていたかずみを見て、初めてそこで俊介は恐ろしいと思った。母親だと思っていた人が、人じゃなくなってしまっていた。そう気付いた瞬間、俊介は背後にその存在を感じ始めた。
ソレは最初は胎児のように小さかったのに、かずみが俊介を部屋に閉じ込め神様扱いし始めてからはもうどんどんと大きくなっていった。少しずつ母親の言いなりになった己の言葉に洗脳されて増えていく信者が恐ろしかった。何故なら、信者の彼らは一様に俊介を虚な目で見ていたのだ。クチャクチャと音を立てて、後ろのソレがまるで彼らを食べているかのように。
俊介は、どこも行っちゃだめよ。危険だもの。
俊介は、神様になったの。だから春美も戻せるのよ。
俊介は、いつか翼が生えて、あの崖下から私たちを救い出してくれるのよ。
神様、いつになったら私を救ってくれるのですか。
神様、もっと神様を布教すれば幸せに戻してくれますか?
神様、お願いします。私の家族を返して……。
そんな狂った毎日の中、少ない解放されている時間で俊介は吉住を見つけた。霊障探偵なんて怪しいが、この地区の警官は不幸にも、いやかずみか或いは後ろのソレのせいで信者に成り果てている。自分の名義を使えば郵便物は怪しまれる。郵便の配達員にまで信者が及んでいるなんて吐き気がする。だから、母親の名義を使ったのだ。ただ一言、自由になりたい、とだけ書いたメモを便箋に入れて信者と二人きりの時に騙して配達に紛れさせた。幸い後ろの存在はまだ文字が読めないらしい。
それから少しすれば、自分たちに貼られていた時代遅れのレッテルはここでは今も有効らしく俊介の耳に噂が耳に入った。
余所者が来た――。
その情報を聞いて、かずみがいない時に初めて俊介は母親に着せられていた神主のような服を脱ぎ捨てた。後ろのソレが雄叫びを上げ肌が焼けるような熱を発するが、恐怖と痛みに耐えて唯一捨てられなかった高校の制服に腕を通す。他の私服は捨てられた。伸ばされた髪を乱雑に一纏めにし、札の貼ったドアに触れれば手が焼けるように痛む。それでも。余所者が別人の可能性だってあるけれど。それでもどうしても。
俊介は己と春美と孝宏の骨壷が置かれていた部屋から飛び出し、そのまま後ろのソレの重みに耐えながら久しぶりのアスファルトを蹴ったのだった。
それなのに。どうして。
「何が……何が神様なんだよ! 僕はただの人で、自由になりたくて、……誰も救えないのに……!」